オウム真理教事件 仮谷清志 [被害者]
今回はオウム真理教事件の中の公証人役場事務長逮捕監禁致死事件についてまとめていこうと思います。
公証人役場事務長逮捕監禁致死事件とは、
1995年にオウム真理教が当時目黒公証役場事務長だった仮谷清志さんを拉致、監禁して殺害し死体遺棄した事件です。
仮谷清志さん拉致事件とも呼ばれています。
事の発端は仮谷清志さんの妹が1993年にオウム真理教に入信したこと。
オウム真理教に関わった人たちの多くが不幸になっていますからね。
そして、彼女は数千万円を教団に伏せしていました。
オウム真理教の要求はエスカレートしていき、
当時彼女の所有物でった「目黒公証役場」の土地、建物も布施するように言われ、
そこで、彼女はオウムから逃げ出し、兄である仮谷清志さんにかくまってもらうことになりました。
しかし、オウムは目的を果たすためなら手段を選びません。
1995年、目黒公証役場から出てきた仮谷清志さんを信者たちがワゴン車に連れ込み拉致しました。
実行犯は8人で、
諜報省大臣の井上嘉浩と中村昇。
彼ら二人と平田信、松本剛、林郁夫、林武、中川智正の計8人。
彼らが山梨県のサティアンに連れ込みます。
そして、彼に麻酔薬を投与し、妹の居場所を自白させようとしたが、できませんでした。
そこで、麻原彰晃は信徒の一人に被害者を絞殺させることにしました。
そのため、被害者を東京からサティアンに呼び戻すことになり、
その間に被害者は麻酔薬を過剰に投与されたことにより死亡しました。
にも関わらず、絞殺の実行役が到着したら、
被害者がすでに死亡していることを知らせずに被害者の首を絞めさせました。
遺体は焼却し、細かく砕いて本栖湖に流し死体遺棄し証拠を隠滅したのです。
なんとその実行者への報酬として麻原はおはぎとオレンジジュースを渡したのです。
普通の感性から言うと理解できないですね。
しかし、洗脳されていて麻原の言うことは絶対だったのでしょう。
さらに、信じられないことに、
麻原は被害者が死亡した時に言った言葉は、
「被害者は全盛でオレの弟子だった、前世でポアしてくれと頼まれて約束を果たした」
といったそうです。
この事件は朝日新聞社により明らかになり、
教団は名誉棄損で朝日を訴えたが、ほかのマスコミもこれを報道しました。
その後、「オウム真理教から仮谷清志さんを救出する会」による1万人集会が開かれています。
地下鉄サリン事件の2日後の強制捜査により立件されました。
仮谷清志さん画像
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そして、仮谷清志さんこそが公務事件解決の最大の功労者であるといわれています。
当時から怪しい宗教団体というイメージを持っている人間も当然多くいたが、
信教の自由という法律が邪魔で放置されていたのです。
そんな中、この事件はオウム真理教が凶悪事件にかかわっていると警視庁が確信した最初の事件なのです。
地下鉄サリン事件の際に強制捜査という思い切った行動を警視庁が取れたのには、
仮谷清志さんが命をかけて妹を守ろうとした犠牲の結果なのです。
もし、仮谷さんが妹のことをオウムにしゃべり、オウムに妹を奪われていたら、
事件の発覚も遅れていたでしょう…
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