オウム真理教 死刑囚 中川智正 [死刑囚]
オウム真理教の死刑囚・中川智正氏について気になる方が多いようですね。
というわけで、今回はオウム真理教 死刑囚 中川智正という記事をまとめていこうと思います。
彼は元オウム真理教の幹部で確定している死刑囚です。
ホーリーネームははヴァジラ・ティッサで、麻原彰晃の主治医をしていました。
彼は岡山大学教育学部附属中学校、岡山県立岡山朝日高等学校、京都府立医科大学医学部医学科を卒業し、大学時代は柔道部で学園祭の委員長を務めていて、
明るく温厚な人柄で友人も多かったそうです。
ここまでは順風満帆な人生を送っていたと言っていいでしょう。
彼がオウム真理教に入信したのが1988年です。
医師国家試験を合格し就職するまでの期間に脅威本位で麻原彰晃のヨガ道場を覗いたのがオウムとの出会いです。
ここから彼の人生は変わっていったのです。
ここからはずらっと彼の生い立ちとオウムに入ってから行ったことをまとめていきます。
1988年に医師免許を取得し1年間ほど研修医として勤めた後の1988年に周りの反対を押し切って、
退職し出家したのです。
1995年には自ら申請して医師免許取消処分を受けました。
自らこの申請をしたのは彼が初だったそうです。
まあ、自分からこんなことをする人は普通いませんよね。
出家してわずか2カ月で彼は坂本堤弁護士一家殺害事件に関わることになります。
この事件について詳しく知りたい方はこちら
↓
オウム真理教事件 坂本堤弁護士一家殺害事件
そして、1990年の第39回衆議院議員総選挙には真理党から旧神奈川県第3区で立候補し落選しています。
そして、1994年に教団が省庁制を採用すると法皇内庁長官になりました。
1995年には地下鉄サリン事件の3日前の尊師通達で正悟師に昇格しています。
そして、同年5月に逮捕されます。
計11件25人の殺人に関与したとして殺人罪などに問われています。
罪に問われている事件の数でいうと松本被告の次に多く、
関与した事件で言うと、松本被告、新実被告の次に多いとされています。
上げると、こんなにあります。
↓
坂本弁護士一家殺人事件、元信者殺人事件、弁護士サリン襲撃事件、松本サリン事件、VX殺人事件及び同未遂2事件、目黒公証役場事務長拉致監禁事件、地下鉄サリン事件、新宿青酸ガス発生事件、都知事爆破物郵送事件他
さて、ここから一つ水道橋博士が2010年4月2日に放送されたTBSラジオ「小島慶子 キラキラ」で語った衝撃的な中川智正死刑囚に関する戦慄体験についてまとめていきます。
中川智正と博士は中学生時代の同級生だったそうです。
地下鉄サリン事件の後に中川被告が指名手配になった際、
共通の友人(同級生)から電話がかかってきました。
そして、こんな会話をしました。
「ケツ」=中川被告の当時のあだ名
K「ニュース見てるか?中川すごいことになってるな」
博士「すごいな」
K[お前、芸能人やってんだから中川をかばってやってくれ」
博士「サリンだのなんだのってなってる時にそんなことできねえよ。まさかケツがあんなことになるなんてね」
K「失礼なこと言うな!彼はケツじゃない、ボージサットバ・バジラディッサ師だ!」
Kさんは中川被告のホーリーネームをすらすら言ったのです。
同級生にもう一人信者がいたわけです。
社会的な事件を起こした教団の幹部に同級生がいて、別の同級生が巻き込まれていく感じ。
恐ろしいですね…
この件について水道橋博士は二十世紀少年みたいだったと語っていました。
そして、彼は現在獄中で俳句を作り続けているそうです。
その句は非売品の同人誌「ジャム・セッション」に掲載していて、
1月の平田信被告の公判に出廷して尋問を受けた時の作がこちら。
↓
「先知れぬ身なれど冬服買わんとす」
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