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オウム真理教事件 坂本堤弁護士一家殺害事件 [弁護士]


今回はオウム真理教事件の坂本堤弁護士一家殺害事件についてまとめていこうと思います。


まずは、この事件の概要を説明していきます。


坂本堤弁護士一家殺害事件は1989年に元オウム真理教の幹部6名が、
オウム真理教問題に取り組んでいた坂本堤弁護士ろその家族3人を殺害した事件です。


遺体が見つかったのは1995年のことで、
オウム真理教によって遺体は隠されていたため、発見されるまでは失踪事件として扱われていました。


現場にオウムのバッジが残されていたが、当時の神奈川県警察は「事件性はない」として
捜査をしませんでした。


しかし、1995年に実行犯の一人である岡﨑一明の自供により、判明しました。


この事件は松本サリン事件、地下鉄サリン事件と並ぶ三大事件と言われています。


では、坂本堤弁護士とオウムはどのようにしてかかわったのか?
ということが気になってきますね。


江川紹子さん(ジャーナリスト)が
息子がオウム真理教に出家した母親から脱会について相談され、坂本堤弁護士を紹介したことがはじまりです。


そこから坂本堤弁護士はオウムを批判、追及するようになりました。


そして、1989年位オウム真理教幹部との話し合いが決裂し、
坂本氏はオウムの宗教法人の認可取り消しの民事訴訟の準備に入りました。


それを嫌がった麻原彰晃(松本智津夫)は信徒に彼の殺害を命じたのです。

信徒の弁護士が坂本氏の住所を知っていて、坂本氏の家を見つけ、
11月3日にオウム真理教幹部である村井秀夫・早川紀代秀・岡﨑一明・新実智光・端本悟・中川智正が坂本氏が通勤で利用する横浜市の洋光台駅付近で坂本氏を待ち伏せし、
車に連れ込んで塩化カリウムを注射して殺害し、そのまま運び去るという計画だったが、
その日は祝日のため坂本氏は現れませんでした。


そのため、翌日11月4日に坂本氏の自宅に向かい、侵入し、
端本が坂本堤に馬乗りになり、岡﨑が絞殺しました。


そして、新実が坂本の妻を絞殺、中川が坂本の長男の口をふさいで殺害したのです。


坂本一家が疾走した直後の1989年11月21日に「坂本弁護士と家族を救う全国弁護士の会」が結成されました。


全国各地でチラシやビラが配られました。


そして、彼の遺体は新潟県西頸城郡名立町の山中に
妻の遺体は富山県魚津市別又の林道別又僧ヶ岳線脇に、
長男の遺体はは長野県大町市日向山の山中に埋められました。


その後の1995年の地下鉄サリン事件の後に警察は本格的にオウムの捜査を開始しました。


そんな中、岡﨑一明の自供で坂本一家が殺害されていたことがわかり、
全員の遺体が発見されました。


刺殺された村井を除き、実行犯全員に死刑判決が出ました。


オウム真理教のきわめて残酷で残忍な犯罪の一つです。


坂本氏の死体は歯型から身元がわからぬようにと歯をツルハシで粉々に砕き、
遺棄現場で景気付けに食べたタラバガニの殻と一緒にゴミ同然に埋められたと早川らは証言しています。


信じられない行為ですよね。


こんなことをしておいて、景気付けにカニを食べられる心境が全く理解できません。


そして、発見された坂本の頭蓋骨には大きな穴が開いていたようです。


オウムの事件を記事にするたびに思うことは、
なぜ、これほどの大人がいて誰も麻原がおかしいと思わないのか、
洗脳がいかに恐ろしいことか?
被害者や遺族の方々の思い、
これらを想像すると怒りと悲しみで胸がいっぱいになります。


忘れてはいけないことだと思います…


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